お客様の家作をする中で、実はたくさんの種類の職人さんが携わっています。
皆様ご存知の大工さんをはじめとし、足場をたてるとび職人さん、防水工事を行う防水屋さん、窓ガラスを設置するサッシ屋さんなどなど・・・。
彼らが一人でもかけてしまうと、お家は建ちません。
家を建てる上でも各方面のスペシャリストがたくさんいらっしゃるんです。
そんな方々にインタビューを行う本企画。
前回の『サーフィン好き、家族思いの大工さんにお話を聞きました!』に引き続き今回お話を伺ったのは・・・。
朝日左官の左官職人、松田さん!
先日お誕生日を迎え68歳になったばかりで、
歌唱大会の審査員をされているくらい歌の上手な方なんです!
今回はどんなお話しが聞けるのでしょうか♬
たまたま仕事に来ていたブロック屋さんの所へ1日だけ手伝いに行った時、
「左官の仕事はこんなに面白いのか!」と衝撃を受けたんです。
そこで左官職人になりたいと思い、21歳になった時に、公務員を辞めました。
当時結婚をしていたら職人にはならなかったかも。(笑)
でも「自分がどこまでの技術を習得できるのだろうか」と職人としてチャレンジしたい思いがこみ上げてやまなかった。公務員よりも職人の方が体を動かせるし、成長がわかりやすいっていうのもあるからね。
努力といえば職人は誰しも努力をしていると思う。
人から教えてもらうことはあるけれど、それだけではダメなんだよね。
何でも自分で考える。昔の職人は教えないから。
全て自分で研究。自分で一棟、一棟、研究してきた。
結果は、はっきりとはわからない、
100%とは言わないけれど70%は完成しているのではないかと思う。
残り30%まだまだ頑張って研究を続けていかなきゃと思っているよ。
コミュニケーションがすごく大切だと思っているんです。
現場に入る時は、必ず自分から隣にお住いの方や近所の方に挨拶をしてるよ。
毎回必ず、自分から大きな声で「おはようございます」と。
ここに住むお客さんの事を考えたら、住んでからも近隣の方と仲良くしてもらいたい。
自分としても、現場が始まってからその現場を離れるまで毎日いるわけだからね。
気持ちよく仕事がしたいな、と思ってやっています。
30年同じものを使っている、それは宝物。
昔から使っている道具は何にも変えられない。
仕事を最高に仕上げる為の道具。タオルに巻いて大切にしまっている。
新しく購入した道具は、まだ自分の物になっていないから、壊れてもまた買えばいい。
でも昔から愛用している道具は5千円で買った物でも壊されたら嫌だね。例え10万円積まれたって手放せない。
だから他の職人の古い道具には一切触れないよ。左官屋でも大工でも職人は皆そうだと思う。
辞めたいと思ったことはありますよ。
弟子の頃は毎日、泥壁の材料の中に石ころがあると使えないから
裸足で踏んで確かめていたんだけど、それが冷たくて痛くて・・・何度も辞めたいと思った。
最初は材料作って運ぶだけしかやらせてもらえなかったんです。
とにかく仕事で塗らせてもらえないのが悔しくて、休憩を使って繰り返し塗る練習をしていた。
雨で仕事が休みの日には友達の現場に行き、無償で良いからと練習させてもらった。
そうしているうちにだんだん上手になり一年ほどで、兄弟子を越えることができた。
二年目からは職人として難しいこともたくさんあったけども、他の人の仕事を目で盗みながら研究した。
センスがあったのではなく、努力したからここまでやってこれたんだよ。
現場でお会いする時、いつも笑顔で挨拶してくれる松田さん。
公務員から職人に転身した話を聞いた時は、思わず声をあげてしまいましたが、
物腰のやわらかいお姿の中には強い信念があることを知りました。
46年の職歴がありながら、「完成度はまだ70%」と言い、
残りの30%を埋めるべく日々研究・努力していることに感嘆。
噂通りの真面目で明るい方でした。
“努力は裏切らない”そんな言葉が似合う職人さんです。
人生の先輩としても魅力的な方でした!
中野 真澄
コーディネート / Coordinate 昭和44年 AB型
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